月日(つきひ)は百代(はくだい)の過客(かかく)にして、行(ゆき)かふ年も又旅人也。舟の上に生涯(しょうがい)をうかべ、馬の口をとらへて老いをむかふる物は、日々旅にして旅を栖(すみか)とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲(へんうん)の風にさそはれて、漂白の思ひやまず-。
俳人芭蕉が綴った『おく(奥)のほそ(細)道』冒頭の一節である。この書き出しが余りにも有名であるのは、ただ文体の歯切れがいいとか、名調子であるというだけでなくて、そこに芭蕉の「旅」の哲学があり、その生涯を旅に求めた結論とでも言うべき、過客の魂を述べたものであるからにほかならない。
芭蕉がみちのくへの旅を思い立ったのは、歌人西行や能因の放浪の境涯を慕い、みちのくの歌枕を訪ねることにあった、と言われる。このことは、すでに多くの人が指摘している通りである。つまり片雲の風に誘われ、能因の「都をば霞と共に立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関」(『後拾遺集』)といった歌心を、みちのくの空に追体験したい。それが『ほそ道』の旅の動機であった、というのである。ただしかし、芭蕉
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